気まぐれ日記 2017年2月
2017年1月はここ
2月1日(水)「除草作戦開始・・・の風さん」
7時起床。トイレ暖房が完璧で、寒い朝も心配なし。
田村先生へ後期の成績案を送付した。例によって少し厳しめか。
算額見学会の日程再調整開始の連絡も送った。今度こそ、と思っているが。
今日はリハビリの日だが、午前中最後の時間帯の予約である。行ってみると、駐車場が空き始めていて助かる。この時間帯のメリットだ。
帰りにホームセンターに寄った。このところネットで勉強してきた除草剤をチェックする。狙っていた薬剤があったので、ジョウロと一緒に購入した。農薬ではないので、雑草以外に害はないという触れ込み。
帰宅して高速ランチ。すぐ、除草作業に着手。
ターゲットは防草シートとその周辺である。今日は先ず、50倍の希釈液を作り、ジョウロで散布してみた。15L使用した。効果を確かめながら、次のやり方を考える。
虚弱状態の私としては、ここまででかなり疲労しているはずなので、ここからペースダウンした。
欲しい和算関係の古本があったので、福島県の古本屋に電話で有無を確認したら、売れてなくなってしまったとのこと。困った時は先生だ。小寺先生へメールでアドバイスを求めた。
夕方、ビジネス本の参考文献が宅配で届いた。前から気になっていたデンソーの先輩の本である。業界関係者に寄贈されたものが古本ルートにのっていたらしく、古い本でもほとんど使用感がない。
ペースダウンした中で、今日はビジネス本の構成の検討(設計図の作成と私は呼んでいる)を少し前進させた。
2月2日(木)「今週も本山へ・・・の風さん」
先週で本山での講義は終了したけれど、手違いで最終日にレポートを受け取ってしまった。それで、学生に採点したレポートを返却するため、いつもの時刻にキャメロンで家を出て、本山へ行くことになった。
ただし、ランチはいつもと違って、お洒落なレストランで楽しんだ。
学生それぞれが持っているレターケースにレポートを返却した後、名駅に出て、買い物をしてから家路についた。
再びキャメロンのハンドルを握った後は、家電量販店に寄ってインクカートリッジ(マゼンタとシアン)を買い、さらにGSに寄って灯油を買って帰宅した。結局、いつもの木曜日と同じ時刻になってしまった。
夜は、手紙を1本書いただけで、明朝が早いのでさっさと就寝した。
2月3日(金)「トヨタの減産が心配・・・の風さん」
6時半起床。今朝もトイレ暖房で安心だった。それにしても、現役時代はこの時刻の起床では会社の定時に間に合わなかったものだ。
今日は生産技術マネジメント研究会で、トヨタ自動車の工場見学である。
最寄りの駅から名鉄で2回乗り換えて、1350円のところで降りた。昨夜書いた手紙を投函したかったのだが、ポストが見当たらない。
バスで元町工場へ。一般見学コースではあるが、見学するたびに色々な発見がある。執筆に着手しているビジネス書に役に立つ場面を見学することができた。ラッキー。クラウン、レクサス、マークXなどの混流ラインは、想像以上に減産状態で、ラインタクト(売れる速度)は3分強で稼働しているとのことだった。
トランプ大統領の悪影響を心配してこっそり質問したが、社内の混乱を避けるためだろう、冷静に説明していくとの回答だった。しかし、もしトランプ大統領が強引なやり方で攻めてくると、輸出分の減産が生じるわけで、見学したラインはますますラインタクトが遅くなり、トヨタ社内はもとより、サプライヤーの多くで雇用を失う恐れがある。大変なことだ。
結局、夕方まで元町工場で過ごし、来たルートを逆にたどって帰宅したのだが、同じ県内の移動なのに、とても時間がかかった。
夕食時に、トヨタ自動車見学の感想や、来週の父の十三回忌の相談など、ワイフとたくさん話したので、夜は仕事ができなかった。
明日も朝から名古屋へ出かける。
2月4日(土)「雨予報の前日・・・の風さん」
今日も名古屋へ出かける予定だったが、今朝も早起きできたので、いつもパターンで行くことにした。キャメロンで途中まで行き、あとは電車というパターンだ。
明日は90%の確率で雨だが、今日は快晴。風もそれほど強くない。快適なドライブだった。
名商大丸の内タワーに矢本先生を訪ねた。かねて先生から一度ゆっくり会ってお話を、というありがたいご提案をいただいていたので、お会いするのが楽しみだった。
昼食もはさんで3時間半、さまざまなお話をさせていただいた。高密度で思い出に残る交流だったと思う。今後のお付き合いが楽しみである。
明日が雨ということもあり、すぐに家路についた。
帰宅したら、ペコが吐いた跡があり、その後始末をし、屋外タンクに灯油も補充しておいた(明日は雨だからね)。
着替えて筋トレに出かけた。今月最初である。やりたいことをこなしていくためには、今の私には体力アップが最重要課題だと思う。
トレーナーのいる時間帯だったので、左腕の総指伸筋の痛みを訴えたら、触診してくれ、「筋肉が硬直していますね」ということから、診断とアドバイスをもらった。どうやら五十肩と同様な症状が出ているらしい。マッサージが効果的だと聞いたので、これから積極的にやろうと思った。これまで原因がわからず方針が立てられなかったので、マッサージすらその気になれなかったのだ。
今日も最後はラ・ボードを10分やった。走ってみるといかに下半身が弱っているか実感する。
帰宅し、洗濯物を取り込んだり、雑務をこなしているうちに、日が暮れた。夕焼けだったが、明日は雨なのだろう。
夕食後、早くも両足の健全な疲労を感じた。
今夜も知的で創造的な仕事は諦めた。GAYO!でルパン三世を観た。エンタメだがキャラが強烈なのでストーリーの荒唐無稽さは気にならない。
2月5日(日)「雨の日でも・・・の風さん」
天気予報通りに朝から雨が降っている。昨日のうちにやることをやっておいて良かった、と思ったら、ワイフから「アクアの給油お願い」とリマインドのツッコミ。そうだ。多忙なワイフのために、アクアの給油をしてやる約束だった。
用事で名古屋まで行く次女を駅まで送ったその足で、GSへ向かった。燃料計のE表示が点滅している。
満タン給油したついでにホームセンターに寄り、最近気にしているアイテムのチェックをした。ネット情報と実物のチェックで、慎重に行動指針を立てている。
帰宅したらもうお昼で、少し雑務をしてから、昨夜のお稲荷さんの残りで高速ランチにしていたら、ワイフも合流してきた。週末の法事の相談などした。
疲労感をおぼえたので、書斎で音楽を聴きながら仮眠することにした。ワイフは長女の部屋でPCで仕事をしている。
夕方まで全く仕事はできなかった。
ようやく元気が出てきたので、今日は、ビジネス書の設計図(全体構成)を確定させることにした。
夕食をはさんで午前零時過ぎまで夢中でこの仕事に取り組んだ。疲労がとれて元気が出てくれば、集中力も出るのだ。
完成した設計図を出版社の編集部長へメールで送った。自分としては執筆の目途が立ったことになる。
夜もまだときおり強い雨が降っていた。
2月6日(月)「週末へ向けまたスタート・・・の風さん」
会社員生活が長かったせいもあって、1週間は月曜日から始まる、という感覚が身にしみついている。作家から会社員へ気持ちを切り替えていたのだ。今はその必要はないのだが、やはり月曜日は気になる。それならそれで、気を引き締めていけばいいのだ。
昨夜もらったメールに返信することが、今日の最優先アイテムだった。一時親しくしていた作家が、家庭の事情で文壇から去るというのだ。長い長い迷いの時間の後の結論だから、今さら引き留めるような発言は何の意味もないだろう。彼女が悩んでいた間に、こちらでも似たようなことがあったのだと書き送ることにした。
長々と書いたあと、送信ボタンをクリックするのが怖かった。もしかしてメールアドレスもシャットダウンしてしまったのではないか、といういやな想像が頭に浮かんでいたからだ。幸い、それはなかった。
今日も午後は書斎で仮眠をとった。
昨日、ビジネス書の設計図ができたので、それは一段落させて、もっと差し迫っていることの準備を開始した。
先ず、5月に予定しているキャリアデザイン講義の準備である。名商大のビジネススクールで作ったケースを元にした200分講義を求められている。今日は、先ず、私が作成したケースを思い出さねばならなかった。学部の学生にどう料理できるか考えるのが課題だ。
私のケースは超難度の内容だった。その中から、適当なアイテムを選択するしかない。とりあえず今日はそこまで。
次に、2週間後におこなう講演の準備だ。これも材料はある。料理の仕方はだいたい決めてあった。そのための新しいデータの入手に取り組んだ。私の仮説をうまく裏付けることができるかどうか。あるいは、仮説を取り下げて、もっと価値ある情報が得られるかどうかだ。調べてみると知らなかったことが出て来て、もう少しデータ入手が必要なことが分かった。今日はそこまで。
週末の法事(父の十三回忌)で家族が集まるので、それまでになるべく仕事は進めておきたい。
2月7日(火)「強風の中、筋トレ・・・の風さん」
朝から強風が吹いている。
昨夜手を付けた講演用の材料探しの続きから始めた。2つの仮説があって、昨夜1つ目の裏付けを探した。仮説が100%正しいとは言えないことが分かった。今朝は、2つ目の仮説の裏付けだ。これも色々と調べていくと、同様に100%正しいとは言えないことが分かった。とりあえず、今日はここでやめておいて、少し考えねばならない。
企画している算額見学会の日程を決めた。10人の和算研究者に候補日を提示して、問題ない日にしようとしていたのだが、残念ながらそれは無理だった。どんどん先送りするわけにはいかないので、このへんで手を打つことにした。次は、10人とは別のお知らせしておくべき先生方へ連絡をすることと、正式な見学の申請書を作成して提出することである。
強風の中、しっかり着込んで筋トレに出かけた。今月2回目である。前回、最後にラ・ボードをやったことで、足腰の衰えを感じている。今日もラ・ボードをやりたくて行くのだ。しかし、すごい風が吹いているのに、屋外テニスコートではテニスをしている人が何人もいる。驚きだった。
夕食後、歴史小説の新企画について検討した。長編書き下ろしで、自分から提案するものである。本命にばかり力を入れていると、出版の可能性が低くなる恐れがあるので、7つばかり案を考えて、早めに出版社に相談し、絞り込んで、さらにしっかりした企画案を作成しようという作戦に切り替えたのである。何とか週末までに整理して、来週明けには相談を持ち掛けようと思う。
2月8日(水)「恩師また一人逝く・・・の風さん」
週一のリハビリの日だが、今日は内科も受診するので、人間ドックの結果を持って行った。膨大なデータである。私は今日の受診が楽しみだったのだが、期待したほどの反応が得られなかった。自分の健康は自分でもしっかり管理しなければならないと思った。
リハビリでは、総指伸筋の痛みをまた説明したら、黙ってマッサージの中に盛り込んでくれた。自分で揉むのと違って、プロがやるとすごくよく効く。驚きだ〜。
ホームセンターでフローリングの簡単なワックスがけセットを購入した。正式なワックスがけの前の練習である。
ATMにも寄って帰宅した。
昼食後、フローリングの簡単ワックスに挑戦した。モノが沢山あるフローリングなので、掃除や片付け、分割の仕方など、今回の簡単ワックスがけで練習しておいて、正式なワックスがけに活かそうと思ったのだ。
結局、夕方までかかったが、多くの知見が得られ、正式ワックスがけに自信がついた。
続いて、ペコを病院に連れて行った。ここ2週間で病状は目立つほど進行はしていないが、体重はまたほんの少し減っていた。
実は、朝刊に文芸評論家の清水信先生の訃報(96歳。母と同じ年の生まれ)が掲載されていた。私にとって恩師の一人である。人生に恩師はたくさんいるが、また一人、恩師を失った。
清水信先生との出会いは、私が30歳くらいの頃、朝日カルチャーセンターの小説の書き方講座でである。文学界のさまざまな話を聞きながら、文章の指導も受けた。伊藤桂一先生を紹介してくださった。私が歴史文学賞でデビューしたのちは、「受講料はいらないから、時間があったらいつでも遊びに来てください」と言われた。その後、本を出すたびにお送りすると、新聞紙上で必ず取り上げてくださった。中日文化賞を受賞されたとき、お祝いにお菓子をお送りしたらとても喜んでくださった。
どんなにお年をめしても、老眼にならず、頭もボケず、理想的な方だとひそかに目標にしていたのだが、心筋梗塞で亡くなられた。96歳。母も認知症になっていなければ、きっと96歳で今も元気だったろう。
合掌
2月9日(木)「寒い日も・・・の風さん」
朝から小雪がちらついている。北陸地方はかなり降るらしい。春が待ち遠しいのは老いぼれた証拠か。やれやれ。
いつものように次女を送ったあと、あれこれと雑務に追われた。
明後日が法事なので、昼前にワイフと墓参に行ったが、小雨が降っていたので、掃除と供花を換える程度で帰宅した。
高速ランチ後、筋トレに出かけた。今月3回目。週2のペースを維持したい。
帰宅してすぐヘアダイをした。これで、個人的な法事の準備はだいたい終わったか。
出版社から吉報が届いた。昨年11月に出版した『円周率の謎を追う』が増刷になるという。また人目に触れる機会が増えるわけで、これは良いことだ。書評も増えるかもしれない。
夕食後、急がねばならない仕事を30分ずつおこなった。
その後、明日、兄夫婦を案内する名古屋の情報を印刷しておいた。
雨は止んだが、風が出て来たらしい。
2月10日(金)「法事前日・・・の風さん」
次女を送った後、滞在中のホテルから兄夫婦がやってきた。恒例の観光だが、冬季はあまり行くところがない。
我が家でゆっくりした後、常滑駅近くのPにアクアを停めて、4人で電車で名古屋へ向かった。かつて父の新盆か何かのときに行った大須の天むす屋が目的地である。兄夫婦ともそこの味が忘れられないという。
小さなその店で天むすを堪能した後、徒歩で大須観音まで行き、お参りしたあと、再び地下鉄と電車で常滑駅に戻ってきた。
私のお気に入りのイオンモールでホットタイムにした後、兄嫁が希望のコストコ体験に向かった。福島県にはまだないとのこと。
そこで今夜の食材も買ってやっと帰途につこうとした頃、急に小雨が降ってきた。
夕食では、私の念願のアヒージョ(コストコで購入)を食べたが、意外にもマッシュルームが美味だった。
兄夫婦が宿泊先へ向かう頃には、何と吹雪になっていた。
その後、長男、次女とあいついで帰宅した。
明日は父の十三回忌である。天気が心配だ。
2月11日(土)「十三回忌は満腹で終了・・・の風さん」
駅まで長女を迎えに行って、いったん帰宅、家族7人全員がそろった。
気温は低いが青空だ。まずまず。
心月斎に予定より早く着いた。本堂に入ると、すぐに十三回忌の法要が始まった。今日の法事は我が家だけとのことで、お寺の方も余裕がある。本堂内には石油ストーブが4台置かれていたが、やはり寒い。
いつものように般若心経を唱和し、焼香をはさんでもう一つお経を唱和して、十三回忌の法要は終了した。
次がおこなわれるかは微妙なので、今回は福島から来た兄を施主として挙行してもらった。
庫裏の方で抹茶とお菓子をいただきながら世間話をし、それから裏の墓地へ移動した。
墓石周りはきれいにしてあったので、今日いただいた卒塔婆を立て、焼香しながら順番に手を合わせた。
そこから昼食会場の海辺のレストランへ直行した。ワイフや長女がお気に入りのレストランで、常連に近いが、やや遠いので、それほど多くの頻度で利用しているわけではない。
レストランに着くと、お客がいっぱいだった。ここは完全予約制で、メニューは1種類だけなので、すばらしいコース料理がリーズナブルという以上のお手頃料金で楽しめる。兄夫婦も大満足だったようだ。
2時間近いランチになったが、窓から見える海景色は、途中で何度も吹雪になり、印象的な会食になった。
今日中に京都へ帰る長男を私はアクアで家まで送り、残りの5人は兄のカムリでまちの駅の施設に向かった。
その後、長男以外の6人が杉本美術館で合流した。兄夫婦は杉本美術館は初めてで、やや詳しい私の解説をけっこう楽しんでいた。
帰宅して、ゆっくりした後、少し早かったが、夕食を摂りに出かけた。明朝が早い兄夫婦とはそこで別れることになる。
ステーキレストランも混んでいたが、予約してあったので、すぐテーブル席に案内してもらった。記念のイベント中だったので、格安料金で食べることができた。疲労回復の願いをこめて、ミニマムサイズではあったけれど、サーロインステーキを注文した。
たっぷり食べて、最後のイベントを終えた。
兄夫婦と別れた。次は、来年の母の七回忌かもしれない。
帰宅したら、疲労よりも満腹の苦しさで、リビングでダウンしてしまった。
ここ数日のイベントを終えて、やはり父や母のお蔭でこうなったと思わざるを得ない。
2月12日(日)「寒さに油断・・・の風さん」
家族がまだ寝ている間に起床した。遅れている(夕べできなかった)仕事をするためではない。今日は震災を想定した避難訓練などがあるからだ。私が参加を志願していた。
朝食は摂らず、門扉に「無事です」カードをぶら下げてから、一時避難場所へ向かった。
今朝も気温は低いが、青空が少し見え、風も昨日よりおさまっている。一時避難場所のネコヤナギがつぼみをふくらませていた。
例によって高齢者が多い。
組長らによる「無事です」カードのチェック結果などが集計された後、半数近い人たちが中央公園へ向かった。そこで、消防署の人たちの指導による防災訓練があるのだ。
消防署からは3人来てくれた。震災想定訓練なので、がれきの下敷きになった人を救出する方法、チェーンソーによる板材の切断、消火器の使用、以上3種類の講習があった。
勉強になったのは、いくつかの解説だった。先ず、「東日本大震災では、私たちもすぐ現地へ向かった。震災になると、24時間以内に全国から救援隊が結集するが、へき地まではなかなか手が回らない。もし当地で震災があれば、救援隊は名古屋へは集結するが、ここへやって来るまで何日もかかるだろう。それまで生き延びるために色々な知恵と訓練が必要なのです」といった説明から入った。きれいごとでない、事実に基づいた話は説得力があった。面白かったのは、「カップヌードは、水を入れて30分放置すれば、冷たいラーメンとして食べられる」といった知恵だった。
昨日よりはマシな天気とは言いながら、寒くて寒くて、最後の方はやばいと思った。
11時近くに帰宅し、遅い朝食を摂った後、布団をかぶって仮眠をとった。
3時頃、ランチで起こされたが、どうやら風邪をひいたらしい。老人にとって寒さは大敵である。油断だった。
夕食までに、昼までにやろうと思っていたキャリアデザイン講義の準備を完了させた。
夕食後、いつものように長女を名古屋まで送り、10時半ころ帰宅した。
その後、今日の午後にやろうと思っていた、某出版社への7つの企画案の続きに取り組んだ。これが終了したのは午前1時過ぎで、風邪薬で何とかしのぎながらの作業だった。7つの企画案はすぐにメール添付で送付した。
2月13日(月)「LED電球技術の推定・・・の風さん」
法事中も少しでも時間があれば仕事をしていた。それが、昨日の防災訓練で風邪を引き、計画が狂った。今日はどうだろう?
昨日作ったキャリアデザインの資料を、少し見直してから、名商大の事務局へ送った。
昨夜というか深夜送った7つの企画案に対しては、昼近くに返信があった。7つも提示したので、1つ興味を示してくれた。私としては下位にあるテーマだったが、とにかく、これが企画として成立するか、挑戦しよう。
笠間市の知人から電話があった。今年、小野友五郎の生誕200年にあたるので、市のイベントが開催されるという。そこで私に講演依頼だった。もう何年も前からこの機会を期待していたので、喜んで、ということになった。時期は11月とのことで、先の楽しみができた。
昼食前にGSへ出かけた。キャメロンに満タン給油し、灯油も購入した。
せっかくなので、近くのホームセンターに寄り、ずっと検討していた小型のLED電球を1個購入した。これが、今日のつまづきになるとは、そのときは夢にも思わなかった。
帰宅して、久しぶりにラーメンを作って食べた。
その後、購入したLED電球をスポットライトのハロゲン電球と交換した。消費電力を10分の1以下にするのが目的である。
ワクワクしながら作業を終えた直後から変なことが起きた。手元のスイッチがオフなのに、LED電球が点滅するのである。もちろんスイッチをオンにすれば煌々と輝く。
ネットで検索して、原因が判明した。我が家の室内照明用のスイッチは、すべてパイロットランプがついている。スイッチオフのとき、夜間(真っ暗)でもスイッチの位置がわかるようにという配慮だ。このパイロットランプを点灯させるための微弱な電流(電圧)がLED電球に流れて点滅させることがある、と出ていた。対策は、LED電球のワット数を上げることだという。
ついでだから、理論的に解説しておこう。これは技術者としての推定にもとづく説明であり、どこかからのコピペではない。さらに念のために書いておくが、私はもともと機械工学を専攻し、電気工学や電子工学を専攻したわけではない。しかし、日ごろから理系も文系もない、私はどちらでもない、両方だ、と豪語しているように、技術者としても機械も電気もどちらも受け入れている。
半導体であるLEDを点灯するためには、ある直流電圧が必要である。順方向電圧という。2V前後である。必要数値以上の電圧をかけるとLEDは点灯するが、高電圧すぎるとやがて破壊する。そこで、点灯させるべきLEDの個数に合わせて制限抵抗を直列に入れて、過電圧になるのを避けている。
この制限抵抗の値は、電源電圧の最大数で計算される。
購入したLED電球はおそらく1(〜2?)個のLEDしか使用していないため、点灯に必要な電圧は2Vプラス1〜3Vと予想される(LEDは1個として説明する)。
家庭の電源は交流の100Vである。LED照明にはしっかり交流から直流にする整流回路(AC−DCコンバータ)も含まれている。どれだけの直流電圧になっているかわからないが、仮に半分になっているとしたら50Vである。この想定最大電圧をもとに制限抵抗が選択されているわけだ。目的はLEDの寿命確保つまり破壊させないため。
問題は、上限ではなく下限である。上はおさえてあるが、下はどうなっているのか。つまり順方向電圧プラス1〜3Vである。LEDが1個なら、3〜5V程度で点灯すると考えられる。
我が家の手元スイッチのパイロットランプを点灯するために、この3〜5V(実際は交流だからもう少し上の交流電圧)が使われていると推定される。ところが、面白いのは点滅である。なぜ点灯し続けないのか。
私はそれを制限抵抗のせいだと見る。抵抗は発熱すると抵抗値が増す性質がある。パイロットランプを点灯させるための電圧によってLED電球は点灯するが、LEDの発熱によって制限抵抗が上昇し、LEDにかかっていた点灯に必要なギリギリの電圧値が下がってしまうのだろう。ところが、LEDの消灯とともに制限抵抗の温度が下がり抵抗値が下がる。すると再びLED電球に必要な電圧が供給されて点灯する。これが繰り返される。そのように楽しく推定した。
ネットに出ていた対策、つまりLED電球のワット数を上げるというのは、LEDの個数を増やすことである。これによりLED電球を点灯させる必要電圧が上がる。手元スイッチのパイロットランプを点灯させている電圧(を整流した電圧値)を上回らせることである。
納得した私はホームセンターへとってかえし、購入した電球を返品すると同時に1ランク上の電球と交換した。ところが、同じメーカー品がなく、別のメーカー品にしたのが、また新たなトラブルを生んだ。
帰宅して取り付けようとしたら、金具の上の部分のサイズが大きくて、我が家の機器と干渉するのである。
脱力したが、決着をつけるまで諦めない。三度ホームセンターへ向かい、店員に事情を説明したら、若い女性だったが、私よりはるかに冷静で賢く、カタログを調べ、メーカーに電話し、最初に購入した電球より上のワット数の品物があるか問い合わせてくれた。
品揃えとしてはあったが、サイズの確認に時間が欲しいということで、今日はいったん帰ることにした。
実は、ホームセンターまで片道10kmくらいある。田舎とは言え、そして異常なドライブ好きとは言え、風邪からの病み上がりの体にはきつかった。
夜は、法事関係の決算書作成で終わってしまった。
2月14日(火)「予想もしなかった1日・・・の風さん」
何となく穏やかな1日が始まったような気がした。先ず、週末の講演資料作成の続きから開始した。
早めにランチを済ませ、約束していたエコキュートのセールスマンの対応をした。あまり時間がないから手短に、と伝えたら、怒って帰ってしまった。私は若い人を応援したいといつも思っているので、若いセールスマンに邪険な態度をとる気は毛頭なかったのだが、機嫌が悪かったのだろう。そして、彼は、営業にはあまり向いていないのだろう。気の毒なことをしたな。
日曜日に行けなかった筋トレに出かけた。間が4日あいてしまっただけだが、もう体が固まりだしている。あらゆる老化現象が、若い時にはちゃんと想像することができなかった。これが人の人生というものかもしれない。
前回と同じメニューをこなした。エアロバイクの数値も、現在のベストだろう。これから本当にトレーニングの効果が出てくれば、この数値は良くなっていく(心肺能力が向上したような)はずだ。
帰宅したら、ワイフが出かけるところで、今日はバレンタインデーだからチョコをおごってくれるという。そうか。今日はバレンタインデーだったのか。長女からはチョコをもらっていたので、それですべて終了していた気がしていた。
町内にある人気店、通称丘の上のケーキ屋さんへ行った。妙な時間帯なのに満席だ。カップルが多い。浮世離れした人生を送ってきた私は、また衝撃を受けた。毎年、今頃は、こういった風景が繰り広げられてきたのか。チョコケーキを食べた。
帰宅したら、ご近所から、届いたばかりの広島の牡蠣(殻付)をたくさん頂戴した。生で食べたいところだったが、火を通した方がよいとのことだったので、ワイフが殻ごと焼いてくれた。
まさかこんな贅沢な食事になるとは思ってもいなかった。
夕食後、疲労が出て、リビングのホットカーペットの上で猫とうたた寝してしまった。
午前零時近くに起きだして、それから週末の講演資料作成の続きをやった。
2月15日(水)「仕事には体力が先ず大事・・・の風さん」
今日も忙しくなりそうだった。朝から気合を入れたが、はてさてどうなることやら。
ホームセンターから希望する電球が入手できるという情報があったので、発注した。どうやら一件落着しそうだ(誤算があるとすれば、ワット数を大きくするため、わざわざ制限抵抗を変えて、LEDへの負荷電圧が変わらなかった場合だな)。
週一のリハビリに行った。今日も左腕をマッサージしてもらえた。何とか治さねば。終わってからロビーで血圧を測定したら理想的な数値だった。
近くのホームセンター、それからドラッグストア、ATMに寄ってから帰宅した。
例によって、リハビリの後は疲労というリバウンドがあった。午後はほとんど仕事にならず。
夕方から復活して頑張った。
夕食前までに、先ず、週末の講演のレジュメを作成・送付した。続いて、キャリアデザイン講義資料の改訂版を作成・送付した。
夕食後は、今朝届いたばかりの第三校ゲラの著者校正に取り組んだ。明日の昼までに届けたいので、何とか頑張らねばならない。そう思って始めたのだが、やはり体力、気力、知力の三本柱が整っていないとできない、特に一本目の体力が大事だとあらためて思った。
そうやって途中入浴もはさんで、午前三時半に著者校正を終えた。
2月16日(木)「一気に仕事の区切り・・・の風さん」
編集者とゲラ校正の相談を電話し、その結果を反映させてすぐコンビニへ直行した。
いつものように着払いで手続きを終えたところへ宅配業者が荷物の回収に来た。これで、明日の午前中に確実に届くだろう。
キャリアデザイン講義の資料も、週末の講演のレジュメも受領確認の返信があり、一気に3つの仕事の区切りがついた。
昼食を済ませてから筋トレに出かけた。今月5回目(先月は7回)である。何とか毎月10回にしたいところだ。2日前と同じメニューをこなしたが、少々疲労が残っていた感じだ。
帰宅し、週末の講演のために本にサインをした。続けて、記念のカードの印刷もした。講演スライドの最終仕上げは明日だな。
夕食後は、FBの更新など色々とやったが、けっこう憂鬱なメールを送ったりもした。仕事の区切りがついただけでなく、今日は吉報もあったので、このメールを出す気になった。
体力があれば色々とやれることをまた実感した日だった。
2月17日(金)「講演前日も過密行動・・・の風さん」
月1の総合病院の日だ。リハビリとほぼ同時に始まっていて、目標は1年で卒業つまり定期的な通院終了である。
まるでルーチンワークのように淡々とプロセスをこなしていく。会計が終わったあと、次回(最終になる予定)の予約がシステムに入力されていないことまで、しっかり気付いて、診療科の受付で入力してもらった。
パンとコーヒーで昼食を済ませ、キャメロンで病院を出発。郵便局で送金をしてから、かつての勤務先の本社で現役の同僚と会った。OBである私の経験談や考えを伝えるのが目的だが、やはり現役からは貴重な話を聞くことができる。ありがたい。
その後、カリチューに寄ったら、昨日ベトナムから帰国したばかりの社長から、面白い話をたくさん聞いた。一番笑ってしまったのは、ベトナムの平均寿命はまだ私程度しかなく、社長が自分は70歳だと言ったら、まるで仙人みたいに見られたそうだ。今日は社長に昨年出版した本を持って来たのだが、ベトナム土産をいただいた。ラッキーだった。
さらに、やがて閉店するという、私のお気に入りのスーパーに寄って買い物をしてから帰宅した。
今夜は次女が外食で帰宅が遅くなるとのことだったので、ワイフとアクアに給油がてら晩ご飯を食べに出かけた。最近、豪華な食事を続けているので、悪くはない店だが、安い中国料理店に入った。料金は二人で1780円だった。
明日の講演の準備がまだ終わっていなかったので、夢中で作業をした。特に動画ファイルをパワーポイントのスライドに貼り付けるのに苦労した。これは、先日のトークセッションで金田(かなだ)先生から指摘された課題で、今回、ちゃんとやるのが目標だった。ウィンドウズなら平気でできることでも、MacBookAirの中ではこれまでうまくいってなかったのだ。
色々と試した結果、元々mpgファイルだったものを、欲しい部分だけ、あるソフトを使って切り取り、iPad用ファイルに変換して保存した。ここまではウィンドウズ上での作業。続いて、この切り取ったiPad用ファイルをMacBookAir上で、パワーポイントのスライドに挿入した。面倒なプロセスだが、通常の操作でできなかったのが、これだとうまく行ったのである。
早寝するつもりが、結局、午前零時就寝になってしまった。
2月18日(土)「夜明け前の疾走・・・の風さん」
午前5時起床。真っ暗だが寒くない。ふだんより4℃くらい室温も高い。
ホットミルクを1杯だけ飲んで、6時前に出発した。
まだ夜の空の高みで月が煌々と照っていた。フィリップスのディスチャージランプを点灯させてキャメロンを軽快に走らせる。通行量が少ないハイウェイはどことなくメルヘンチックだった。仕事ができる幸福感にひたった。
名古屋市内に入る頃には夜が明けて来た。
今回で4年連続になる早朝の勉強会の会場はホテルである。立体駐車場に入れるのも慣れた作業だった。
午前7時から講演が始まった。自己紹介が不要なのは楽だし、聴講者の興味をだいたい把握できているのも安心だ。やや時間超過してしまったが、終わりごろにテレビ出演のビデオを見てもらったので、楽しんでもらえたと思う。持参した本もたくさん購入してもらえた。
続いてホテルの朝食会場へ移動して、恒例の交流会だ。色々な話が出たが、ちょうど読みかけの漱石の『こころ』について、貴重な意見をもらえてラッキーだった。亡き父が私に読むことを勧めてくれた珍しい本だが、どうやらすごい内容らしい(前半のひどさに反して)。
名残惜しい別れののち、そこから10kmと離れていない別のホテルへ向かった。昨日から生産技術マネジメント研究会の最後の合宿研修がおこなわれているのだ。11時前に合流することができた。
最終報告会の資料はかなり完成していて、私のアドバイスは少なくて済んだ。
昼食の時に、受講生が昨夜行ったキャバレーの話を聞けて面白かった。時間単位の明朗会計で、飲み放題、食べ放題という珍しさ。日本人ホステスたちも素朴だったようだ。
満腹になったこともあり、午後は、テザリングでPCをネットにつないでメールチェックしたり、初めてネットオークションに参加したり、あとはひたすら休養にあてた。
午後5時過ぎに、渋滞の名古屋市内を抜けて家路についた。帰宅は7時少し前。
ひと仕事終えた解放感は最高に気持ちいいし、次の課題が整然とリストアップされているのも闘志を抱かせる。
午前零時就寝。
2月19日(日)「今月6回目の筋トレ・・・の風さん」
書斎から空も半分見えるが、青空だ。こういう日は気持ちいい。今日からどんどん作家に専念できるぞ、という気になる。しかし、本当にそうなるか(笑)。
いつものようにワイフも次女も出かけてしまった。
天気が下り坂らしいので、午前中にできることをしようと思った。
GSへ行き、灯油を購入した。これで10日間くらいは大丈夫だろう。ホームセンターに寄り、注文していたLED電球を受け取った。
帰り道は海沿いの田舎道を走った。天気は好くても風が強いので、伊勢湾の海原には白兎が乱舞している。
やや心配していたLED電球は、期待通りにスイッチオフでも点滅せず、スイッチオンで煌々と輝いた。技術の勝利、としておこう。
卵かけご飯の高速ランチを終え、トレーニングウェアに着替えて図書館へ向かった。電話の着信があったので、相互貸借本が届いたに違いないと思って行ったのだが、また手違いがあって、入手は木曜日とのこと。この分だと、東京の古本屋で直接購入することになりそうだ。
そのままトレーニングルームへ向かったが、今日も駐車場が一杯だった。
トレーナーと会話しながら着々とメニューをこなしたが、調子が良くて、今日は少し頑張った。特に、大好きなラットプルダウンの負荷を上げてみた。軽々とこなせたし、トレーナーから「いい感じで動いてますよ」とほめられた。五十肩で腕が上がらなくなったため、長く断念していた種目である。これがちゃんとこなせていけば、広背筋が鍛えられるのだ。つまり、上体が逆三角形になるという男の憧れの体型である。
帰宅したら、さすがに疲れていて、たらたらと過ごした。スマホに入れてある『こころ』の続きを読んだが、60%を超えてもまだ内容は不愉快である。
今夜も少し早めに就寝した。
2月20日(月)「老化現象と戦う日々・・・の風さん」
昨日のトレーニングで頑張り過ぎたせいか、左の太ももの裏側が痛くて目が覚めた。ラボードで走ったあと、やっと空いたレッグカールをやったのがいけなかったのか。レッグカールは太ももの裏側の筋肉を鍛えるマシンだ(レッグエクステンションは太ももの表側)。ちょっと無理するとダメージが残る体質になってしまったのかもしれない。老化現象だ。若い時には夢想だにできなかった世界に入っている。あまりに痛いので、左太ももの裏側にトクホンチールを塗ってみた。左腕のようにかぶれないように気を付けよう。
午前中、JAへ行きATMで現金を引き出し(振り込め詐欺ではないよ)、近所のショップでスライスしたハムとチーズそしてレタスを購入した。
昼食は、土曜日の勉強会でいただいたパンにハムとチーズとレタスをはさんで、久しぶりにワイフと食べた。レタスは高かったが、レギュラーコーヒーと一緒に割安で豪華な気分のランチになった。
午後から天気予報通りに小雨がぱらつき出した。気温が低いとペコの様子が気になる。不治の病に侵されていて、進行を遅くしているだけで、目に見えない速度で弱っているはずだから、苦手な寒さを感じさせないようにしている。
そういう私も往年の爆発的な仕事力はもう戻って来ないだろうに、その夢から覚めないために、あれこれと雑用をしながら仕事を先送りしている。昨日からちょっと観始めた映画『フランケンシュタイン』を見終えた。イメージとはまるで違う映画だった。
小学生のころ読んだ文学は『今昔物語』『雨月物語』と『フランケンシュタイン』ぐらいだったという、私は変わり者だった。それでも、『フランケンシュタイン』の中の寒風の中に立つ男女のモンスターは強烈な印象として残っている。
ようやくビジネス書の第一稿と5月の算額見学の申請書に取り掛かった。
夜に入り、強風が吹き荒れた。明朝が早いので、午前零時にベッドに入り読書して寝た。
2月21日(火)「狭い世界・・・の風さん」
昨夜からの風がまだ吹き荒れている。寒いが、左の太ももの裏の痛みはなくなっている。しかし、今日も留守番状態だ。
ワイフと次女を相次いで駅まで送った後、クリーニング屋が来たので1か月分の支払いをした。退社後、コンスタントに出していたワイシャツがなくなったので、申し訳ないと今でも思う。
似たような話で、昨年から裏の土地の草刈りを始めたので、シルバーさんの仕事も奪った感がある。そのシルバーさんに電話して、カーポートに沿った貝塚衣吹が伸び放題なので、選定してもらえるか電話で打診した。来月くらいに喜んでやりましょうとの回答だったので、私も嬉しかった。
昼前にくもん出版から電話があり、某新聞社から書評の書き手の紹介を求められているとのことだった。ありがたい話だ。今回は児童文学だし、献本もしているたからしげるさんを提案した。多忙かもしれないので、念のため本人に打診すると快諾してくださった。
階下へおりたら、ペコが可哀そうな状態だった。食べてすぐトイレで排便したらしく、4か所で吐いていた。まだ苦しかったのか、最後は、トイレでないところで排便してしまった。幸いそこには広告を敷いてあったので、処理は楽だった。今週は病院へ連れて行くので、また体重が減っていそうだ。
時折日も差していたので、10時半に温風ヒーターを止めてあったが、12時半にまたオンした。
午後は私も何となくけだるかったので、リビングで過ごした。夕方、仮眠もした。
夕食前後もリビングで過ごし、漱石の『こころ』を読み進んだ。小学校のころ帰宅して見ていた昼のメロドラマみたいな歯がゆい状態が続いている。これが明治期の人間の思考の特徴だったのだろうか。他人への気遣いと自己の心理分析。外部環境が平穏だと、こういった閉塞状態になるのかもしれない。幕末前後には人々の思考に大きな変化があったかもしれない。
風はだいぶ静かになってきた。
2月22日(水)「継続している筋トレ・・・の風さん」
今朝もワイフ、次女と相次いで駅まで送り、留守番状態に突入した。
雑務を片付けてからリハビリに出かけた。今夜から天気は崩れる予報で、それまでに外回りの仕事は終えねばならない。
左の五十肩のリハビリは3月末で卒業が目標だが、本当に治りが遅いなあ。後から発症した左腕の痛みもなくならないし。
いつものように帰りにホームセンターに寄って買い物をした。レジで、棚で見た金額と違っている気がしたので、ちょっと呟いただけだが、見事なリアクションでレジをロックすると棚へ直行した。しばらくして戻ってきたのだが、何と値札を持っている。私の記憶が正しかった。当然レジではバーコードを読み取って精算しているのだが、どうやら最近値引きしたらしく、元のデータが修正されていなかったようだ。1個200円の値引きがあったことになる。3個買ったので、600円多く支払うところだった。ボケ老人にしてはクリーンヒットになった……かな。
田舎道をゆっくり走って帰宅した。
家の中の用事を優先しておこない、高速ランチ(卵かけご飯のこと)後、まだ天気がもっているので、筋トレに出かけた。今月7回目になる。先月も7回行ったので、今年14回目となる。3日に1回が良いパターンだろう。
前回ラットプルダウンの負荷を上げたが、今日はレッグプレスの負荷を上げた。どこまで元に戻るか楽しみだ。
約2時間の外出から帰宅して、ようやくコーヒータイムにすることができた。
ペコのためにリビングは暖房を入れっぱなしなので、読みかけの『こころ』をそこで一気に読み終えた。どんでん返しのような展開はなく、後味の悪い作品だった。亡き父が私の読むように勧めた真意は、結局、分からないままだ。しかし、大正4年生まれの父にとって明治は遠くなく、当時の働かずに思索にふけっていた人は、父の憧れだったのかもしれない。
夕食後、ビジネス書の執筆のための参考文献を読んだが、会社の先輩の本で、実に読みやすい。文章も味があるが、社風を共有しているせいかもしれない。
夜が更けて、予報通り雨が降り出した。
2月23日(木)「作家としての身辺に動きあり・・・の風さん」
昨夜の雨が残っている。いつも時間はたっぷりあるような気がするが、ボーッとしていても過ぎていくので、気合を入れて仕事をしていないと、成果は上がらない。
午前中にオークションで落札した古本がやっと届いた。宮崎からのメール便だったので時間がかかったのかもしれない。ま、いずれにせよオークションは初体験だったので、良い勉強ができたし、品物には満足した。
昼食におはぎを4個も食べたので、少し胸焼けがしそうな感じだったが、体を動かせば楽になるかと思い、近所の図書館へ出かけた。
相互貸借を希望していた本がやっと届いたので、閲覧に行ったのだ。予想以上に内容の充実した本だった。拾い読みしたが、感動した。今度取り組む作品には必須の文献になると確信したので、古本を購入することに決めた。県内にはないことが分かっているので、遠隔地で購入することになる。
昨日に続いて最優先の執筆のため、会社の先輩の本の続きを読んだ。読み終える予定だったが、午前零時までに果たせなかった。
そうこうしている間に、また次の執筆の検討依頼がメールであり、来月の打ち合わせアイテムにすることにした。
2月24日(金)「本を買うやら読むやら・・・の風さん」
ワイフ続けて次女を駅まで送り、その足で、GSまでアクアの給油に行ってきた。灯油も買っておいた。
図書館で確認した本の古本を神田の古本屋に発注したのだが、正誤表がついていないという連絡があった。とりあえず購入手続きはし、正誤表は図書館の本からコピーすることにした。すぐ図書館に電話すると、相互貸借本はまだ置いてあると言う。今日は館内整理日なので、明日コピーしに行くことにした。
その勢いで、欲しい古本(内容は確認済み)をもう1冊ネット検索し、同じく神田の古本屋で発見、発注した。
新たな執筆へ向けて準備が着々と整っていく。
昼過ぎに超多忙なクロネコがAmazonで発注した品物を届けて来た。ジュンク堂と名古屋の勉強会であまりうまく行かなかったことの対策品だ。早速、試してみると、期待通りの効果だった。講演やセミナーで使う七つ道具もほぼ完ぺきになった。
午後から読書に注力した。
会社の先輩の本を読み終えた。重要事項をしっかり抽出しながらの読書だったが、けっこう早く読めたのは、内容がしっくりくるからだ。
続けて、昨日届いたオークションで落札した本である。午前1時までかかって読み終えた。とても勉強になった。
今朝、ワイフが出かけてからペコが吐いたので、昼前にサンルームでぬくぬくしているときに、一人でシロップをシリンジを使って投与した。実にうまく行った。ペコが落ち着いていれば、一人でも飲ませられる。自信がついた。
2月25日(土)「時間をかけてやっと・・・の風さん」
朝から青空が広がっている。こういう時は気持ちが前向きになる。たくさん仕事できる気がする。
こまごましたことは午前中に片付けて、昼食後、いよいよ行動開始。
図書館へ行き、すぐ正誤表のコピーを取り、そのままトレーニングへ。
今月8回目だ。トレーニングルームの中と外であまり温度差を感じなくなってきている。春が近づいているのだ。自分で決めたメニューを着々とこなす。3日に1回のペースを守り続けることができれば、徐々に体力が戻っていくことを実感し始めている。
帰宅してすぐ、届いたばかりの本を読んだ。実は、絵本だ。いくつかの目的があって購入したのだが、内容は予想をはるかに上回る素晴らしさで、感動して泣きそうだった。
夕方からやっと確定申告の準備を始めた。いつものようにギリギリにならないようにしたかったのだが、とうとうこんなに遅い着手になってしまった。こんなことにならないためにも、基礎体力は必要だ。
ま、とにかく、一気にやれる力はまだないのだから、明日もこの続きを根気よくやろう。
結局、1日を振り返ってみれば、まあまあ仕事をしたと言えるな(とは言え、労働時間はいつも長い)。
2月26日(日)「今日も手広く仕事・・・の風さん」
今日も晴天、仕事日和!?
先ず、ルーチンの仕事を片付けてから、色々とやった。
S社と何とか打ち合わせに持ち込みたいので、資料の読み込みを開始した。かつて調べた題材だが、復習だけでは足りない。そういう思いで読んでいくと、出てくる出てくる、時代背景に関する材料は豊富だ。しかし、私の切り口は通常とは違っているので、その関連は深く調べる必要がある。また、相互貸借の必要が生じたので、昼食後、図書館へ行き、手続きをしてきた。ネットで古本の品揃え状況も確認したが、購入するかどうかは、S社との打ち合わせ後の判断になる。
打ち合わせといえば、もういくら何でも日程を決めなければならない。そのための打診メールを打ち始めた。
あと、確定申告の準備の続きをやった。まだまだ作業はたくさんある。根気が必要。
ビジネス本のための新たな資料が届いたので、それを読み始めた。これは体系的な本なので、私の考えている本の構成の抜けをチェックするのに最適だ。何とか早く読み終えて、執筆を開始しなければ。
夜は家族3人でまたステーキレストランへ行った。今月は特別に割引料金なので、利用しなければ、という貧乏人根性もあった。とは言え、また4月から生活スタイルが変わる次女のために、少し、話しておきたいこともあったのだ。
昨日に続いて、今日もたくさん仕事をした気がする、時間をかけて。
2月27日(月)「急きょ外出・・・の風さん」
庭の梅がどんどん咲き出した。今日も雲一つない晴天だ。空が広く感じる。
先週、図書館でチェックした古本が届いた。安かっただけあってかなり痛んでいるが、使用に問題はない。この関連であと1冊発注したが、今週中に届くだろう。来年へ向けて小説が2冊、どちらもかなり重たい作品が徐々にスタートを切ることになる。
今日の予定を変更したワイフが、買い物に行きたいと言い出したので、給油とランチがてら常滑イオンへ出かけた。
平日はさすがに客の数が少ないが、それでも営業的には十分な入りだと思う。ボケ夫婦としては、若い客が少ないのがちょっと寂しい。
まだ体力不足なので、こんなわずかな外出でも疲れてしまい、帰宅後、しばらく横になった。
来月の上京スケジュールが少しずつ具体化してきた。残念ながら2週にわたって2回行かないとすべての用事は終えられそうもない。1泊2日より費用面でも効率は悪そうだ。
夜はビジネス本と確定申告の仕事で終わってしまった。どちらもまだまだかかる。
就寝前に小説を1冊読み終えた。これで今年10冊目。
2月28日(火)「今月9回目の筋トレ・・・の風さん」
バイト最終日の次女を駅まで送った。ワイフに言わせると、7年間も春日井市まで通ったことになるそうで(途中ドイツに行っていた期間はあるが)、これは大変なことだったと私もあらためて思った。私の大学7年間は、片道13kmほどで、1年目は自転車、翌年からはマイカー通学だった。移動は楽だった。
月末なので、いくら何でも上京スケジュールを確定しなければならない、と朝からあちこち連絡しまくった。そのお蔭で、夜までに、来週の予定はほぼ固まった。再来週も行かねばならないので、あと少しだ。
昼食後、筋トレに出かけた。今月9回目なので、年明けから良いペースでやれている。まだ元に戻ったわけではない。しかし、帰宅すると調子が良いのがわかる。どこまで戻れるかが楽しみだ。
今日もビジネス書の資料読みと確定申告の準備を少しずつやった。まだたくさん残っている。
愛工大で次年度も非常勤講師をやらせていただくが、そのシラバス(案)2科目を作成し、田村先生へ送った。後期は初めてほとんどの講義を担当する。初めての分は、大学の夏期休暇にあたる時期に準備することになる。
2017年3月はここ
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